超低反発枕草子

25歳社会人3年目。行き場のない独り言の掃き溜め

反省だけなら猿でもする

こないだは仕事でこっぴどく怒られた。

理由は一昨年の資料と昨年の資料をまちがえたことだが、言い訳させていただくと、中身は一昨年のものだけど、タイトルが昨年のものだった。もっと早く確認したら気付けたけど、重要事項と見なされていなくて、突然思い出したかのようにその話が持ち上がって、慌てて用意したらまちがえた。要するに落ち着けば良かったわけですね。誰が悪いわけじゃないと優しい言葉を他の方からは言われたけれど、でもさぁ、ここでは言わせてよ、自分の中で邪悪と決めつけはしないけれど、せめて悪かったなぁと気づいて欲しかった人は何人か、いる。結局最後にババ、貧乏くじを引いた私の負けである。実にみじめで、実にかわいそうな私。ただ私は負けたのです。

 

こっぴどく叱られましたが、学生時代のバイトで怒られた時のほうがよっぽど怖くて、落ち込んだ。コップを割り、ケーキのクリームをえぐり、プロ意識は甚だ無く。あの時に鍛えられたのだろうか。そうならば、人はなぜ学生時代にバイトをするのだろう。就活でバイトバイト言うのだろう。私がバイトで学んだことは、接客業が向いていないこと、顔が覚えられないこと、働くとはひたすら心の筋トレをすること。それが役に立つ時が来たよヤッホーイ。接客業に就職しなかったし、顔は覚えなくていい内勤だし、こうして逃げ出さず真っ正面から怒られても「怖い」と全く思わない。やったー。完全勝利だ。

 

粛々と残飯処理をして、粛々と帰ることにした。

 

帰り道信号が青に変わったんだけど、救急車が通ろうとしていたので、少し待った。待っている人は私だけだった。

そしたら救急車から「ありがとうございます」ってマイクで言われた。

じわっとぐわっと突然こみ上げた。ありがとうと今日全く言われていなかったことに気づいた。ありがとうと言われるようなことをしていないことに気づいた。

 

ありがとうと言われたいから仕事をしているのか?そんなことないし、ありがとうと言われてもいいような接客業バイトはお金で成り立つ関係だからありがとうなんて言われても実感がわかない。ありがとうのために動いて言われるありがとうっていうのもへんな話だ。人はなぜ働く?働くとは、人間が人間でいていいと、社会のクソみたいな唸りの中にいてもいいと、誰も言ってくれないから自分で言ってあげてるような状態のことです。

 

何気ない行動に対してありがとうと言われるととてもあったかい。自分はまだまだ捨てたもんじゃないと気づく。性善説性善説

 

どうか救急車の方、無事でいてくれますように。

 

 

 

 

 

 

大人の人見知り

小さい頃の人見知りは、頑張って直せと教育される。人前に立つ練習をしよう、今日は◯◯ちゃんと話してみよう、今日はあのおままごとの輪に「仲間に入れて」って言ってみよう、って。

 

小さい頃から1人で遊ぶのが好きだったけれど、今日はおままごとに入れてもらおうの時は頑張って入れてもらった。1人は居心地がいいけれど、グループを組まなければならない時だけは居心地が悪かった。仲の良い友達がいるクラスの時は、グループを組む時間がびっくりするくらい楽しかった。1人で居たいのではなく、結局自分がしたいようにしたいだけだったのだ。

 

実際におままごとに混ぜてもらう能力やグループを組む能力は、あって困るものではない。

 

小さい時は矯正の余地が与えられた。クラス替え、卒業などにより、人間関係がリセットされた。だけど、成人してしまった。仕事も始めてしまった。そう簡単に私を取り巻く環境は変わらない。異動しても人がグルグル廻っているだけで、リセットされない。扉の向こうに確実に居る。

 

私はどうやって心に染み付いた「人見知り」を「克服」すれば良いのだろう?そもそも、「克服」しなければならないのだろうか?

 

海外出張中には「もっと他の人と積極的に話さなきゃ」と怒られた。他の出張でも「もっと輪に入って行かなきゃ」と多分あれは怒るというより呆れられていた。だけどね、ものすごく心に負荷がかかるんですよ。(外国語だと、余計に。) その負荷に耐えられず、それで、足を踏み出す勇気が出ない。何かの病気なのかなってくらい、人の輪に入れない。知らない人と話すことがすこぶる面倒くさい。話題も思い付かない。向こうも多分、私と話しても話さなくても、結果オーライ。私は確実に社交界には向いていないし、そもそも向いている人はそこまで沢山居ないんじゃないかな。陣内智則は「勇気」とは「カエル触ること」だと言っていたし、多分カエルの方がよっぽど触れる。カエルを触るタイプの勇気の出し方じゃあ、ダメですかね。「仕事」をする上ではまぁ、知らない人の輪に入って行く勇気の方が大切なのかな。今の職場では、明らかにカエル触る勇気は歓迎されない。ゲーコゲコ。

 

この「大人の人見知り」と名付けたい現象は、甘えなのでしょうか。だとしたら多少の負荷はかかっても、私は「愛想いい」への一歩を踏み出すべきなのでしょうか。もし「一歩を踏み出せたら、あなたにとって損はないよ」「あれば早く出世できるよ」っていうくらいなのなら、どうか、どうか見逃してください。いつもいつも、体の奥底から「しっかりしろよいい年した大人だろ」っていう本心半分、偽善半分のギスギスした声が聞こえてくるんだけど、私ってそこまで邪悪なのかしら。人見知りは邪悪なのかしら。どうか、どうか見逃してください。大人は子どもよりもはるかに時間がかかるでしょう、ある種の物事を受け入れるのも、変わるのも。理解はするんだけれども、気持ちはいつも追いつかない。

 

 

自分で考え、自分で決め

これは卒業式の時に壇上で順番こに叫ぶやつ(楽しかった〜修学旅行〜!みたいなやつ)で、自分が言ったセリフです。今もこの謎の伝統あるんかな。だって先生が考えたセリフやん。よく従順になれた、がんばった。

 

そのセリフを選ぶ時に、言いたいやつに手を挙げて、2人以上いたら大声対決で選んだんです。私はクッソ運悪く、風邪で声がガラガラの子と一騎打ちをする羽目になった。教師の「卑怯者め、、、」みたいな目、今も忘れていない。そこで引き下がればよかったんだけど、何だか言い出せなかった。そして当たり前だけど声の大きさでは勝利した。教師もなんでそこで配慮しなかったんだろう?だからかな、今もなお、何かをなすりつけられたかのようなねちっこい感覚が残っている。

 

そんなこんなで、私の中で強く印象に残ったフレーズとなってしまった。考えすぎなのかもしれないけれど、幼いというのは、未熟というのは、本当に弱い。今思い返すとそんな気持ちになる。

 

なんでこんな話をし始めたかといいますと、藤井聡太四段が、高校進学を決めたということで。そのことに対して、外野がああだこうだと言っても本人のためにはならないのだけれど。周りに言われて流された、とか、将来あの時もし高校に行かない決断をしたら、と思うのではないかとか、とにかくああだこうだ言われて。

 

個人的に思うことは、その日の決断ではなく、決断の後の自分の行動でしょ、後悔するかしないかってのは。私もそういう、将来に関わる決断をすべき時があって、決断の後、選ばなかった方の「パラレルの向こう側」について考えたりしたことが何度もある。上手くいかなかった時には、「向こう側の自分はは今どうしているのだろうか。今もっといい人生なのだろうか。」もちろん誰も答えられないし、そんなもの、無い。

 

だけど結局どちらを選んでも後悔するときは来るし、良かったなぁと思う時も来るわけですよ。無い物ねだりとも言えるし、有るものに感謝すべきとも言えるし。その「良かったなぁ」を増やすのは、決断の後の自分次第というわけです。Life is a dramaです。あなただけのドラマ。置かれた状況で頑張ってみて、それでも駄目かもしれないけど、それでこそ知れた幸せがあるのかもしれない。結局選んだ方のことしか、わからないのです。

 

だから、藤井四段の話に戻るけど、高校に行ったことはこれから「良かったなぁ」にしていければいいのにね。本人が一番よく分かってるのかもしれませんね。理屈はシンプルなはずなのに、簡単にはいかないんだろうね。

 

人間は「自分で考え、自分で決め」たことへの実行力が凄まじいのだそうです。選択の科学(The Art of Choosing) と呼ばれています。

 

選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)

選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)

 

 

人の意見を聞くことも大事だけれど、自分の意思を持てるように。人生の分岐点における決断もきっと、大きな力となるはず。兎にも角にも、自分で決めること。意志のある人は美しいし、きっと楽しいと思う。

 

人生は一度きりで、やり直しが効かなくて、かくいう自分は上手いこと微調整微調整して、バランスを保つ日々です。大それたことをしなくとも、ぼちぼちでいいやという感じ。

 

賢く、おおらかになりたいものです。以上、まとまりのない文章でした。

文章を書くときは

最近気にしすぎるようになった。

 

少しでも頭が痛いと心配になり、

少しでもお腹が痛いと落ち着かなくなり

少しでも貧血になると気が遠くなり、

ひとりでいるときは尚更。

世の中には杞憂という言葉があるとおり、みんなみんな気にしてやり過ごして来たんだろうな。

 

年取ったのかなってほど、年はとっていないのだけれど、決して学生ではないし、痛めつけているとは思う。ごめんよ身体。

 

こうして夜な夜な携帯をいじるだけでも痛めつけていると思う。それでも文章にするだけで随分と楽になる。整理もできる。相方曰く、「そういうことを考える余裕ができたってこととちゃう」とのことで、正にそうだと思った。ときどきこうやって、自分では考えつかなかったようなことをポロっと言ってくれるの、とても有り難い。

 

できるだけ自分で自分を助けてあげたいし、心配かけたくない。今晩は何となく眠れなかった(主に連休の寝溜めのせいである)けれど、落ち着いてきた。気楽に行こう、という気持ちになった。こういうコッソリとした自己完結もときには大切。

 

それでも働けるだけ良いことだ。なんとかやって行こう。理解ある人に出会えてとても幸せだ。みんなみんな、大事にしようっと。

 

てきとうに妄想して、腹式呼吸でもして、寝まーす。

めちゃくちゃお腹が痛い

三連休にしてたんですが、明日から仕事だと思うとめちゃくちゃお腹が痛い。

というより、ただ単に食べ過ぎ。たぶん。お昼はドロドロのカルボナーラたらふく食べて、そのあとおやつ食べて、晩御飯食べて、またおやつ食べて、痛い。思い当たるならカルボナーラかもね。

 

ところで最近言葉選びがバカになって来た気がして、ただ単に「宿題」をしなくてよくなって、随分経つがゆえにインプットとアウトプットが足りないのと、もう一つ、携帯の予測変換が賢くなったのが理由なんじゃないかと思うのです。

ちょっと入力し間違えただけでも、あーはいはいこういう事言いたかったんでしょう、って勝手に直してくれます。今も「言いたかったんでしょう」は「いいかたったんだ」くらいのニアミスな言葉を打ち込んだらだいたい予測してくれました。そうそう、合ってます。でもその分正しく打ち込まなくてもよくなりましたので、正しく発する力がね、衰えるのね。これ本当に怖い。パソコンにキーボードで入力する方がよっぽど頭鍛えられるよ。漢字とか映画の綴りとかわからなくなって来たとか言われるけど、根本的な日本語の力がね、弱まってくるのはもっと恐ろしい。

 

実際タイトルの「お腹が痛い」も、おなががいた、ぐらいで「お腹が痛い」ってね、そうだよ、お腹が痛いんだよ。むかつくんだよ。

そして、書きたいこと書いてるのに、間違ってません?と言わんばかりに(←も、台湾ばかりにって言われたよチクショウ違うんだよチクショウ)修正してくるね。AIなの?人間はいつしか人間が生み出した機械に導かれ、正され、どこへ行くのかね??(ちょっと言いすぎたかな)

 

こんなんでも社会で生きています。人生は思ったよりもベリーイージー。いいことあるぞ〜ミスタードーナッツ♪ 今ドーナッツはちょっと、お腹痛いかな(*_*)

 

 

単純作業は毒か解毒かそれとも

仕事中どうしても単純作業をしなければならない時もありますよね(トリバゴ風に)

 

でもそんな時、ちょっと安心してしまう自分がいます。今はこれをしないと、次に進めないから必要な作業なのだ、と思い込むことで、段取りとかクリエイティブなこととか、何もかも考えることを放棄することを許されたような気持ちになるわけです。そうするとなんとなーく、軽くなる。気持ちが。

 

成長しないって、頭使わないって、非生産的だって、そんな厳しいこと考える人もいらっしゃるかもですが。いいじゃ、ないの〜(エレキテル連合風に) ダメじゃないです。ダメダメでも何でもないんです。そんなんじゃ日本経済が成長しないって?将来の担い手がいなくなるって?そうですね、そうだとしても、ちょっとだけ、休ませてはいただけないものでしょうかねぇ。(笑)

 

ストレスというのは人間に幾ばくか必要なものです。地面を踏むから歩けるように、押した力で、跳ね返って、前へと進む。ストレスがないと、楽しいことも、当たり前が当たり前である幸せにも気付くことができない。でもストレスがかかりすぎるとこれまた人間はいとも容易く潰れてしまう。地面にめり込む。かかった分のストレスを、跳ね返せるようなワクワクが、どこかに落ちてないものかねぇ。そうだ、運動でもするかぁ!って言った途端、屋外は熱中症警報。仕方ない、家で腹筋でも、するかぁ!アップテンポな洋楽に合わせて、鏡と向かい合わせで、でたらめに踊ってみるかぁ!

そんなとき、おすすめなのは、この曲です。

What the Hell

What the Hell

 

成り行きに任せるんじゃなくて、自分で首持ち上げて、前向くしかないのよね、この世の中。うむ。

好きなこと好きなだけするわけにもいかないもんだなあ

休みに入ってそれはそれはもう、反動がすごい。今日はモンハンしかしていない。随分前からやってるのに、まだ集会所星7だし。星7はあと緊急クエストのセルレギオスってところまで漕ぎ着けた。普段ひとりじゃ全然クリアできなかったのに、時間があるという心の余裕で、なんでもできる気がするよ今。装備キリンだから火に弱いんだけど、火山のあれこれ、頑張ったよう。

 

その反動で肩も目も頭もめちゃくちゃ痛いし、左手筋肉痛。あほかよ。

 

休み入ってから頭痛に悩まされるとは思わなかった。仕事のときのような、バカみたいに同じ姿勢はダメ絶対ね。動けるなら動かないと、鈍るってことかね。

 

ところで世の中には頭痛外来というものがありまして、先日思い切って行ってみたら、すごく良かった。何も悪くないということに安心して頭痛の半分が治ったくらいの勢いです。きちんとしたところなら、MRIとかまで、撮ってもらえます。気持ちから来るものがいかに大きいか、そして気にしてしまいやすい、私の心はいかに小さいか。結果、ストレートネックとのこと。職業病かよコンチクショー。腰痛も発症したし、お腹にガスも溜まりやすくなったし、痛めつけてるね。頑張ってるね、身体。あれこれ一気にやって来て、びっくりしてるやろうね。

 

ストレートネックや肩こり、腰痛を気にして整体というものに一度ホットペッパービューティーを駆使して予約して、行ってみたこともあります。いざ行ってみると、ホットペッパービューティーという女子女子したイメージと掛け離れた「整体するアル!!!!!!」って感じのところでしたが(笑)。結果続けて通っているわけではありませんが、そこで「右利きだけど左の方が凝っているのは、ストレス。」と言われました。そのときにすごく「自分、ごめん」って、心の底から自分の肉体に謝りたくなりました。健全な肉体に健全な精神は宿る!とか言うけれども、それ言えるの何才までなんでしょうね。痛いけど、ムカつくけど、開き直ってやってくしかねぇやあ!って、あかるい精神が欲しいものです。それでこそ健全な精神。そのためには早寝早起き、早起きできなくとも早寝だな!こんな時間に何言ってんだよバカヤロー、って言いたくもなりますわ(笑)なんてこった、パンナコッタ。

 

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)