超低反発枕草子

25歳社会人3年目。行き場のない独り言の掃き溜め

大人の人見知り

小さい頃の人見知りは、頑張って直せと教育される。人前に立つ練習をしよう、今日は◯◯ちゃんと話してみよう、今日はあのおままごとの輪に「仲間に入れて」って言ってみよう、って。

 

小さい頃から1人で遊ぶのが好きだったけれど、今日はおままごとに入れてもらおうの時は頑張って入れてもらった。1人は居心地がいいけれど、グループを組まなければならない時だけは居心地が悪かった。仲の良い友達がいるクラスの時は、グループを組む時間がびっくりするくらい楽しかった。1人で居たいのではなく、結局自分がしたいようにしたいだけだったのだ。

 

実際におままごとに混ぜてもらう能力やグループを組む能力は、あって困るものではない。

 

小さい時は矯正の余地が与えられた。クラス替え、卒業などにより、人間関係がリセットされた。だけど、成人してしまった。仕事も始めてしまった。そう簡単に私を取り巻く環境は変わらない。異動しても人がグルグル廻っているだけで、リセットされない。扉の向こうに確実に居る。

 

私はどうやって心に染み付いた「人見知り」を「克服」すれば良いのだろう?そもそも、「克服」しなければならないのだろうか?

 

海外出張中には「もっと他の人と積極的に話さなきゃ」と怒られた。他の出張でも「もっと輪に入って行かなきゃ」と多分あれは怒るというより呆れられていた。だけどね、ものすごく心に負荷がかかるんですよ。(外国語だと、余計に。) その負荷に耐えられず、それで、足を踏み出す勇気が出ない。何かの病気なのかなってくらい、人の輪に入れない。知らない人と話すことがすこぶる面倒くさい。話題も思い付かない。向こうも多分、私と話しても話さなくても、結果オーライ。私は確実に社交界には向いていないし、そもそも向いている人はそこまで沢山居ないんじゃないかな。陣内智則は「勇気」とは「カエル触ること」だと言っていたし、多分カエルの方がよっぽど触れる。カエルを触るタイプの勇気の出し方じゃあ、ダメですかね。「仕事」をする上ではまぁ、知らない人の輪に入って行く勇気の方が大切なのかな。今の職場では、明らかにカエル触る勇気は歓迎されない。ゲーコゲコ。

 

この「大人の人見知り」と名付けたい現象は、甘えなのでしょうか。だとしたら多少の負荷はかかっても、私は「愛想いい」への一歩を踏み出すべきなのでしょうか。もし「一歩を踏み出せたら、あなたにとって損はないよ」「あれば早く出世できるよ」っていうくらいなのなら、どうか、どうか見逃してください。いつもいつも、体の奥底から「しっかりしろよいい年した大人だろ」っていう本心半分、偽善半分のギスギスした声が聞こえてくるんだけど、私ってそこまで邪悪なのかしら。人見知りは邪悪なのかしら。どうか、どうか見逃してください。大人は子どもよりもはるかに時間がかかるでしょう、ある種の物事を受け入れるのも、変わるのも。理解はするんだけれども、気持ちはいつも追いつかない。